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ディック・ダースティン
フランチェス・マテウ
ハリソン・エレンショウ
ジェームズ・コールマン
ジム・サルヴァーティ
ジム・ウォレン
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ジョン・ヘンチ
マニュエル・エルナンデス
マイク・クプカ
ピーター・エレンショウ
ティム・ロジャーソン
トビー・ブルース
トレバー・カールトン
トリシア・B・ベンソン
 
 
 
ピーター・エレンショウ
1913-2007
 

芸術家として60年以上のキャリアを持っていた彼は、《風景画家》《映画アートディレクター》《特殊効果アーティスト》と、実に驚くほど多くの顔を持っていました。2007年2月12日、自宅にて死去。93歳でした。

1913年、イギリス生まれ。
隣人で、当時映画背景画の第一人者でもあったWalter P. Dayに見出され、彼のアシスタントを始めた
のがこの世界に入ったきっかけでした。
対象となる物− 例えば人物、城、船、島などをまずガラスに描き、それをカメラの前に置くことでガラス上に描かれた“それ”は背景とまさに<ひとつ>になります。
《マット》と呼ばれるその技法の‘名人’と呼ばれるまでに成長したエレンショウにディズニースタジオのアートディレクターから声がかかったのは1947年のこと− 
ウォルト・ディズニーは初めて手がける実写アクション映画“Treasure Island”の草稿段階にあり、エレンショウはこのプロジェクトへの参加を依頼されたのでした。
こうして始まったエレンショウとディズニーのプロとして、また友人としての付き合いはその後30年以上もの間続き、二人の見事なコラボレーションによって34本もの名作映画が生まれました。

1953年− いよいよフルタイムでディズニーのキャリアをスタートすべく、彼は家族と共にアメリカへ移り住みます。到着するなり彼に課せられた仕事、それは【ディズニーランド】と呼ばれる代物の完成予想図を描く、というものでした。もともと風景画家である彼にとって実体のないモノを想像力に任せて描くことは容易ではありません。
さてウォルトは完成したディズニーランドパーク予想図を片手にパークの紹介、およびスポンサーの獲得に乗り出したわけですが− 結果はごらんの通り。彼の描いた【ディズニーランド】がどんなに素晴らしいものであったかは言うまでもありません。

その後も彼は『海底2万マイル』(1954年)、『Darby O’Gill and the Little People』(1959年)、『メリーポピンズ』(1964年)、『Bedknobs and roomsticks』(1971年)などのディズニークラシックスを次々に手がけ、中でも『メリーポピンズ』で見せた特殊視覚効果技術はアカデミー賞を受賞しました。

彼はまた英国の田園風景を描くことをこよなく愛し、その思いは彼の『くまのプーさん』コレクションにも反映されています。明るくやさしい色使い、そして100エーカーの森が持つ、人を思わず愉快な気持ちにさせてしまうユーモア − 彼は“プーさん”という存在を、丸ごと受け止める力を備えたImpressionistic Visions<印象的な光景>を見事に創り上げたのです。


全ての商品は限定版。一枚一枚がジークレの工程を経ており、原画の持つニュアンス等、全ての要素を完璧にとらえています。