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トリシア・B・ベンソン
 
 
 
ハリソン・エレンショウ
1945-
  有名人を親にもつ子供の多くは、親とは違った人生を歩もうとするものです。
アカデミー賞の受賞暦がある父親をもつハリソン・エレンショウもその一人でした。父親であるアーティスト、ピーター・エレンショウは、アカデミー賞ノミネート回数5回、そのうち『メリー・ポピンズ』では視覚効果部門でアカデミー賞受賞という輝かしい経歴を誇るディズニーの伝説的人物です。「小さい頃からアーティストである父親の影響を受けて育ったよ。父はまだ小さい僕にキャンバスと絵具を与えて僕に絵を描かせたりしてね。アートは父の人生すべてなんだ。 食事の最中だってキャンバスを持ち出して台所で作業する始末さ。母だって家族の食卓に仕事を持ち込んだりする父に納得はしていなかったけれど、彼のアートへの情熱を理解していたんだ。僕はそんな彼の情熱と脅威的な才能を見て、僕には到底真似できないと思ってたよ。」

ハリソンが大学を卒業した70年代はじめは不況の真っ只中。 
大学で専攻した心理学を生かした仕事を見つけることができませんでした。
「父親から、「もし興味があればしばらくの間ディズニーの
マットペインティング部門で働いてみないか?」と話を持ちかけられたんだ。」 
その頃部門のトップを務めていたアラン・メイリーは、数年にわたってピーター
と仕事を共にしてきた仲でした。
「アランと会ってみて、試しに半年やってみることにしたのさ。」
4年後アランが引退することになった時、ハリソンは彼の後任をオファーされました。
「普通は12年かかるものだからね。スタジオ側も躊躇していたし、僕だって戸惑ったよ。」 アランがハリソンのサポートを約束したことで、彼はマットペインティング部門のトップとなることを決意しました。

それからハリソンは目覚しい飛躍を遂げます。「運命の女神は僕に微笑んだんだ。 かつて父に微笑んだようにね。そうして間もなく僕は「スターウォーズ」の制作に携わる素晴らしいチャンスに恵まれたんだ。」 
この頃からハリソンは、ピーター・エレンショウを父親にもつアーティスト、としてではなく、ハリソン・エレンショウという一人のアーティストとして世間に認識されるようになりました。「スターウォーズ」での仕事が評価され、その続編「スターウォーズ 帝国の逆襲」にも参加しました。そして彼自身のスタイルを確立したこの頃、彼は「ブラックホール」(ディズニー映画:1979)で初めて父親とコラボレートします。
その後、映画「トロン」では、今までに例を見ない特殊視覚効果を駆使し、現在のカルト作品の見本となるような作品を創り出したのです。


ハリソンはその後も「キャプテンEO」、「スーパーマンIV」、「ゴースト」などを手がけ、1989年には「ディック・トレイシー」の制作に携わりました。
この作品では、映画の主役がマットペインティングで創り出されています。
この頃、ロサンゼルス美術館でフォーブ派画家の展覧会があり、そこでフィルムの制作に関わったハリソンは、絵画にも興味を持つようになりました。
マチスやドランなどに代表されるフォーブ派のアーティスト達の、今までにない新しい手法と激しい色彩で日常風景を描く、”色彩の解放“への試みに刺激を受けたのです。

「フォーブ派の強烈な色使いを見てからは、もっとたくさんの色を使って絵を描くようになったんだ。今ではカラフルな作品を描くことが楽しくて仕方ないよ。」
「ジクレー技法の素晴らしいところは、原画の鮮やかな色彩を忠実に再現できるところだね。」とハリソンは言います。
ハリソンの作品はニューヨークのHammerギャラリーの他、ロンドンやサンフランシスコなど数多くのギャラリーで展示されています。